第2ステージを始めることに

57歳で早期退職した後の人生を模索する毎日を綴ります。

路面電車で良い日

kokoからスタート

今日は 良い日でした


アルバイトが終わり 

夕方の路面電車を待つ人の列は

電停からはみ出す程 今日もいっぱいでした

タイミング良く 3両編成の電車に乗ることができました





私の街の路面電車は 色も形も様々

大抵は古〜くて 1両で走っている車両です


予算が無いため 県外だけではなく

海外の街を引退した 払下げの車両もあります






一方 工業デザイナーの水戸岡 鋭治さん設計という3億1,900万円の高額車両もあります



(水戸岡氏デザインの車両 残念ながら一度も乗ったことがありません)



統一感なく いろいろな車両が次々とやって来て

好きな人には そこが楽しいという感じ


アルバイト帰りも 

本格的なカメラで 電車の写真を撮っている観光客を よく見かけます





1924年に開業した100年の歴史ある路線です


路線距離は3.3 km 


私の利用する路線の停留所数は 全部で26か所


料金はどこまで乗っても1回200円ですが

私は6停めで降ります



孫のパピちゃんは 自家用車とバスにはよく乗るので 時々電車乗りたがります

「ジョイフルに行く〜!」と駄々をこねて

大人の足で 徒歩5分の距離を

電車に2停分乗って 連れて行ってもらいます

大抵 ピノさん・ママさん・私の大人3人と一緒なので往復の電車代は 合計1200円

JRでちょっとした距離の場所まで行ける金額です



電車

→ケチャップ付きキッズポテト

→ガチャガチャ用のコインゲット

→おもちゃゲット

という一連の流れは パピちゃんにとって最高のおもてなしです






書きたいことから ずれましたが


今日のアルバイト帰り

電車に乗り込んだと同時に 

真っ赤な髪色で毛先だけ真っ黒の女の子が 

目に入りました






40年前 名古屋に就職した同級生が

金髪になって帰って来た時は

さすがにショックでしたが


今では アルバイト先で会う

髪色ピンクの姐さまに

「可愛い色だね」と挨拶したり


青髪の若いスタッフの子に

「似合ってるね自分で染めたの?」と声をかけたりの日常


真っ赤なロングヘアーぐらいでは 少しも驚かなくなりました



女の子はアニメファンらしく

肩からかけたバックに アニメのストラップが下がっていました


真っ赤なロングヘアーも わざわざ描いたそばかすメイクも パンク調のTシャツも

コスプレって感じです




(こんな感じの女の子でした)



JR駅前の電停が近づくと

後方ドアにいる車掌さんに壱万円札を出して

両替を頼んでいました


車掌さんは 両替は1000円札からのみと答えながらも 赤髪コスプレさんの了解をとって

「お客様の中で 壱万円札を両替できる方がいらっしゃいましたら ご協力ください」

とアナウンスしましたた


飛行機の中で 緊急時にドクターを探すドラマのシーンみたい



車内から何の反応も無いので 車掌さんは同じアナウンスを繰り返しました


しばらく乗客の誰も動かない中で 

赤髪コスプレさんと同じ位年齢の男の子がおずおずと車掌さんに近寄り

「あのー 持っています」


肩から布製のトートバッグをかけた 痩せ型で黒目がちな男の子 

勇気を振り絞って 車掌さんに近づいたのか目がウルウルしていました




(こんな感じの 男の子)



「こちらの方です

赤髪コスプレさんを見ながら車掌さんが黒目ウルウルさんに言うと


黒目ウルウルさんは 自分の財布から1000円札を1枚取り出して 壱万円札を差し出す赤髪コスプレさんに渡しました





すぐ目の前でのやりとりを見て 

黒目ウルウルさんは お金の勘定が難しいのだと私は察しました


「もっとありますか」車掌さんがと言うと


黒目ウルウルさんは 

少し驚いて1000円札をもう1枚渡しました



もしかして両替するほど1000円札を持っていないかもしれない 

そうだとすれば 勇気を出して申し出たのに 

黒目ウルウルさんは大勢の人の前で 

恥ずかしい思いをするのではないかしら...


ドキドキしながら見ていました



車掌さんさんは 

とうとうしびれを切らせて黒目ウルウルさんに


「お札を全部出してもらえますか?」 


黒目ウルウルさんが出したお札を

「失礼します よろしいですか?」

と車掌さんは手に取って


「1,000  2,000  3,000  4,000  5,000...      」

声に出して数えながら 赤髪コスプレさんに渡し


「ご協力ありがとうございました」

残りのお札を 黒目ウルウルさんに返しました


赤髪コスプレさんも頭を下げて


「ありがとうございました」

目を見ながら 礼儀正しく感謝を伝えました



二人にお礼を言われながらも  

少し戸惑った表情の黒目ウルウルさん


もしかして

(せっかくお札を沢山持っていたのに ほんの数枚になってしまった)

と思っているのではないかしら?



黒目ウルウルさんのお金勘定の力や 

両替後の気持ちについては 

あくまでも私の想像の域を出ないので


的外れな妄想だったら 本当にごめんなさい




ハロウィンパーティーの帰りのような外見の赤髪コスプレさんの 素直な態度と 

勇気全開の 黒目ウルウルさんの頑張り

機転を効かせた 車掌さん


乗客全員で拍手してもいいんじゃない?

と思いながらも  

勇気を出せずに 心の中でパチパチパチした私でした


電車を降りて 家に着いても

ず〜っとぽかぽか気分 ご機嫌な一日でした







介護保険をかけたい

kokoからスタート

3年前に パートナーのピノさんは 定年退職と同時に 保険を見直し 介護保険をかけました






ピノさんの頭の中は いつもスッキリと片付いています

例えば 通帳の整理をする時は


○月払いの振替・クレジット・生活費に使う口座

○年払いの振替・非常用に使う口座

○老後資金として絶対に手をつけない口座


この3つに集約して 後は全て解約し

誰が見ても 一目瞭然に!




保険も同様です

私のように ああでもないこうでもないと

悩むような事はなく


スパンスパンと 惜しげもなく解約して


今後の介護費用を考えて

説明を聞いたその場で さっさと契約したのは

要介護度1から保険金のおりる 介護保険


全然足りないから あとは口座から下ろして

と本人は言ってますが


(ピノさんの加入した介護保険の設計書)



隣で契約を見ていたにも関わらず

私には 介護保険が必要なのかわからず

加入しませんでした




それから3年が経って


医療保険にお金を払うよりも 介護保険をと

私に説いた 保険営業マンの言葉には 

説得力がありました


「病気や入院をするかどうかは個人差がありますし 高額療養費制度があるので あまり心配は要りません(普通は 保険会社の人が言うような事ではありません)

けれども 期間の長短こそあれ ほとんど全ての人が 亡くなる前には介護状態になります」



その通り! 

と 私は心の中で大きくうなずきました


であれば 民間保険会社の介護保険料は高いからと 敬遠せずに

かけておいても良いのではないかしら



病気・死亡 以外で

一生懸命に払ったお金が自分に戻ってくるのは

養老保険だけです

自分で貯めたお金は 自分で使いたいです

だから私は 養老保険が大好きです



けれども 身体の自由が効かなくなって

遊べなくなれば

必要なのは介護保険


介護保険も 自分の払ったお金を 

自分のために使ってもらう事ができる上に

私の好きな養老保険とは違う点は


元本よりも保険金が増えて返ってきても 

増えた分に 税金が掛からないという点

ここは優れています!



更に 外貨建保険を利用すると 

元本の約2倍〜3倍にもなって戻ってきます

為替リスクがあると言っても

今のところ円建保険よりも 多く戻る確率が高いため 外貨建介護保険を検討中です






〜おまけ〜

終身保険(生命保険)の解約返戻金を

電話で聞いて 計算してみました



11年間で18万円増えています


これは終身保険なので 私の命は今のまでところ

300万円払って 1年で1万6,000円の価値だったようです . . .(笑)

保険についてFPさんに相談してみた(2)その後

kokoからスタート

その後 解約のターゲットになっている私の保険は。。。


①10年前にかけた「定期年金」

  51歳で100万円かけて

  65歳から毎月12800円が5年間出るので 

  トータル28万円プラスになるもの



「貯金はいくらもってるの?」と母に尋ねられても いつも言葉を濁していた私です 

親だって自分の預金額を 簡単に子供には語らないように 子供だって親に預金額を教えたくはありません

そんな私のことを 何故か一方的に 

浪費家で貯金ゼロと思いこんでいた母から 

強制的に掛けさせられたのが この保険です 



年金生活になって本当にお金が無かったら 毎月1万円が5年間入ってくるのは有り難い事です


この保険の解約返戻金は 現在104万円です

もし貯金に100万円入れていたら 

この10年で1000円ぐらいの利子だったと考えると4万円プラスになったのは すごい事です


でもこれは 解約します





②20年前にかけた「5年毎配当付終身保険」

  41歳で100万円かけて

  死亡の時146万円くるもの

  死亡受取は母





③19年前にかけた

  「5年毎利差配当付き終身保険」

  42歳で10万円かけて

  死亡の時162万円くるもの

  受取は娘達

  


  

当時はお金も無く 住宅ローンまで持っていた時期で 自分のお葬式代を残そうとかけたものです

42歳で"お葬式代" というのも 笑えますよね


今では 家族葬もあれば

直葬もあります

ついでに言うと 私にはお墓は必要なく 

散骨が希望です


そういえば 今後の投資方針について

證券会社を訪れた時

担当の方からも 似たような事で笑われました


「そんなに 30年先の事なんて考えている人は見たことがありませんよ」


30年先とは 

今後やって来る 私自身の介護と 

介護の先の 私の死後の事ですけど

私は終活の1つとして 考え始めています


60歳で介護について考えのは 

早過ぎるかもしれません

実家の母は90歳で 一人暮らしです

母の介護は これから始まるわけですが


母の介護と私の介護

お金・家族の負担・その他の課題

両方を同時に考える事で

自分の介護について改めて考える必要がない為 時短になるし 改善もできます


もし私が見積もっているほど 

介護にお金が必要なければ 

自分の身体の自由に動くうちに 使うことができます




最後に解約を検討しているのは


④25年前にかけた

  「5年ごと利差配当付養老保険」

  300万円をかけて6年で元本を上回り

  25年で1.25倍の375万円に





この4つの解約を検討中です






私は就職しても 学生時代から生活の質を上げていませんでした

学生時代の延長線上で生活していただけということで その頃はまだ特別な考えがある訳では無かったと思います



けれども 私が結婚する時 

父は一言も反対することなく 代わりに次のように言いました


「二人で生活するからと言って 生活費が2倍になるわけではない  

うちもそうだけど 生活費は一人分と大差ない ところが収入は2倍になる

それでも 一人分の収入で生活するつもりでいないと 子供を学校にやるようになってから大変だよ」



大好きな父の言葉は 

どれも 私の中に根差しました

母とは違って 細々とは言わないけれど

折に触れて 未来の指針を与えてくれる言葉だったからかもしれません



父の言葉通り 結婚後は意識して 学生時代の貧乏な生活(お肉の代わりにお魚ソーセージや竹輪・パンを食べたい時はパンの耳を探す など)を続けるようにしました


普段月は カツカツの生活です

給料天引きで財形をして 昇給したら昇給分 財形額も増やして

お金が貯まったら 保険商品を買って



子供が小さい頃は

オムツにミルク代もかかります

社会保険や税金を引かれたお給料は 

一人10万ちょっとでした

銀行口座の残額に △が付くこともありました


子供が5歳と7歳の時 

3800万円程で家を購入して

住宅ローンが7万円弱


本当にずっと ギリギリ生活でした

今でいう "NISA貧乏" のように

"保険貧乏" だったのかもしれません




株をしている伯父が 大阪にいました 

当時の情報源はラジオだけで スマートフォンの無い時代に株で稼ぐのは しんどそうでした


(イメージ写真です)





12年前から 證券会社を通して

私も 債権や投信を買い始めましたが


就職当時〜子育て期の私は 

貯金以外のお金の増やし方として 

保険しか 知らなかったのです



そんな中で住宅ローンまで抱えてしまったのには理由がありますが それはまた機会があれば。。。




今回 保険を整理しているのは

(1)外貨建保険の有用性を知ったため

      15年ほど前に初めて加入した

    外貨建養老保険の満期を迎えて 

    良い物だと実感したから

(2)保険商品の利率が上がってきたため

(3)介護保険をかける資金を作るため

以上3つの理由からです




保険会社の人にも 證券会社の人にも

私はこれまでは良いお客様でしたが


これからは 要注意のお客になりそう





普段の生活に 話を戻すと

毎月カツカツの生活でしたが

ボーナス月だけは別でした


服・家電・時には車 などを買い

旅行やキャンプ・スキーを楽しみ 

ホテルで美味しいものを 沢山食べました


子供達と毎年スキーに行って

良かったと思うのは 私だけかもしれません


暖かい地方で育った子供達ですが

下の子供が2歳から スキー場へ行ってたためか

「うち まじスパルタだった

 坂の上から 行け〜とか言われてた」と 

子供達はスキーシーズンを振り返ります