第2ステージを始めることに

57歳で早期退職した後の人生を模索する毎日を綴ります。

レシピ

1年前に、大切な友人を亡くしました。

人の心にペッタリと貼り付いているかように、近い存在に感じさせながらも、おおらかで寛大な友人でした。


私の父は大きな事故を起こしたことはないのですが、自宅に車庫入れするのさえ、車をこすってしまうことがありました。

兄の運転はハラハラします。

家族の男性軍の上手くない運転を見てきた私は、夫や義父の運転する車に初めて乗った時、(運転上手な人達だなぁ)と、思いました。


そして、前述の私の友人は、これまでに乗せてもらった中でどの人よりも、(大きな声では言えませんが、夫よりも)ずっと運転上手でした。

それは大学卒業から間もない20代の頃から既にそうでした。

人の運転する車に乗せてもらうと、無意識に身体に力が入っていたりするものですが、彼女の助手席に座る時は、ゆったりとくつろいでいられるのが不思議でした。


今日、久しぶりの「バナナトースト」を食べました。先の運転上手な友人が亡くなる2日前に「ねえ、あなたの教えてくれたバナナのパン、レシピ教えて。」と、突然電話があり、驚いたものでした。

どう考えても、私より料理上手な彼女に、そんなトーストのレシピが必要なの?

ちょっとした違和感を覚えながら、電話でのやり取りを終えたのでした。



今、思い返すと、会話の内容なんて、何でもよかったのかもしれません。


先月の終わりに参加した法事で、彼女の地元の同級生達や、親戚の人達から聞いた話を総合すると、亡くなる3日前ぐらいから、いろいろな人達と普段以上に接触していたのではないかと思われました。


パンをトーストして、バターを塗り、バナナをのせてハチミツをたらす…だけの朝食です。

これまでは、バナナが残っていたりすると食べることもありましたが、彼女が亡くなって以降は食べていませんでした。


いい人は早く亡くなるのか…

亡くなるといい事だけしか思い出さないのか…


せっかくの美味しいバナナだったのに、涙がでそうになり、

バナナトーストはもう少し月日が過ぎてからにしよう……


おはよう

以前の仕事は、建物にこもって毎日特定の年齢層を相手にしていました。

単調な業務ではなく、何かしら予測出来ないこともしばしば起き、特に人との関係づくりに心をくだき、ハードな仕事でした。


日を終えると、くたくたになって、夕方の買い物をする時間も気力もなく、家と職場を毎日往復するだけの毎日を過ごしていました。

転勤もある仕事でしたが、どの職場に転勤しても基本的に同じでした。



そんな環境だから、世の中のことが私は全くわかっていないと思っていました。

もちろん、メディアを通して情報は入ってきますが、それだけでした。

母の強い勧めで(その仕事に就かなければ勘当すると脅されましたが…笑)、前職に就きましたが、一方で税理士をしていた父からは

「あなた達は、世の中のことを少しもしらないよね。」と笑われていました。


31年間続けた仕事をやめて、アルバイトを始めたのですが、この1年で世の中に吹く風を感じられるようになりました。

世の中のが見えやすくりました。


企業で働く人はオンラインと対面を上手く使い分けながら、より効率的に仕事を進めているようです。インバウンドもかなり戻って、地方都市であっても様々な国の人々が訪れるようになりました。


そんな中で気になり始めたのは、日本人の多くが「おはよう」「行ってらっしゃい」などの挨拶に返事をしないことです。さらに言うと、私も含めた多くの日本人は「ありがとう」もすんなり出てこないのです。

こちらが何を言っても、一言も発しないので、(あっ!…) と気づいて英語に切り替えると、

「オレ日本人だしー」


(は~?!喋れるんじゃない!)



海外から来た人達を観察していると、彼らのほとんどは「おはよう」「Good morning」「Thank you」と、はっきりとリアクションをします。日本語も英語も話さない人でも、相手と目を合わせてニッコリしたり、片手をあげたり。

欧米人でもアジア系の人でもです。


朝からコンビニに行って「いらっしゃいませ。おくおはようございます。」と声をかける店員さんに対して、私は「おはよう。」と言っている?

買い物後「ありがとうございました。」と言われて「ありがとう。」「また来ます。」などと出てくる? またはニッコリ微笑むかしら?


日本には暗黙の慣習がたくさんあり、子供は周囲を見ながら成長する過程で、生まれながらに知っていたかのようにそれらをすることができます。

日本人は周囲に合わせることが得意なのです。宴会の乾杯もお葬式の焼香も。


小学生は横断歩道で停まってくれる車に頭を下げ、登校中に会う地域の人に挨拶をするのに(私も子どもの頃は、そうしていました)、

でも、いつから「挨拶しない」ことを周囲に合わせるようになったのでしょう…


他の人の(は~??!)っという行動は、気がつけば、そのまま私の行動でもありました。


大人になるほど、周囲とのコミュニケーションを取れない(とる必要を感じていない?)ひ弱さが私の中にあるのです。筋の通っていない私がいるのです。


アルバイトの帰り道、立ち寄った本屋で白洲次郎さんの記事を見ました。

白洲さんに憧れるのは、一本太い筋の通った人だからなのでしょう。


第2ステージを一周して、

もう一度、生き方を見直してみよう…

と思う 今日この頃です。


桜の季節が終わり、力強い植物の緑があふれる初夏に向かうこの季節も、元気をもらえます。


景気と香水

最近感じていることは 。。。

香水をつける人が増えた ということです。


私は鼻がいい方だと思います。

パラっとし始めただけでも雨に濡れた道路の匂いが室内でもわかるし、歩いていても風にのってくる梅や桜の花の香りがわかります。


香り過敏症の人や、香水の香りは苦手という人もいますが、

とても疲れている時を除けば、

私は香水の香りは嫌いではありません。

女性がつける甘い香りも、男性に愛好者の多いムスク系の香りも



香りと景気には何か関係があるのではないかと私は勝手に思っています。

スカートの長さと景気には関係があると言われるように…


デフレの時代には、限られた人達を除いて、

香水をつける人がほとんどいなくなりました。

人々がさらりとした感覚を求めるようになったのでしょうか?

匂いを押さえるための制汗剤、足の匂いスプレー等が売れて(それはいつの時代もエチケットでしょうか)、人に関しては無臭に寄っていく傾向があったと思います。


その分、空間に関しては、お香、アロマ等で香りを求めてきました。


食料品や生活雑貨の値上げが相次ぎ、景気が良くなった実感は依然としてありませんが、香水流行の兆しを見る限り、景気が良くなる兆しなのではないか…と期待してしまいます。


私の学生時代は日本のバブル期でした。

20代の若者にも「シャネルの5番」という言葉は浸透していて、憧れの香水でした。

実際、初めてシャネルの5番を鼻に近づけた時、私の想像とは違う香りに少しがっかり…

19番の方が好きかも…そんな時代でした(笑)



龍馬に菊枕を作ったのはおりょうだったでしょうか、どの時代でも香りは大切にされてきたのですね。

 

これは、私の好きな香りです。


けれども、今、私が何の香りに包まれて眠りたいかと尋ねられたならば…

菊花でもシャネルでもなく…


焼きたてパンの香りを詰めこんだ枕かしら